きもちの日記

日常綴る

子育てするなら、地元で

 

 

子育ては地元に戻ってしたい≒(できれば)東京では子育てをしたくない

 

 

という価値観の合致は、
出会いを同じ県出身者に絞った、という点も深く関係しているだろう。

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とはいえ、お互いに27、8歳という働き盛りではあったので、こうした決断ができたのは本当に良縁だったと思う。

 

そもそも夫は、(私が知る限りの)同年代男性の中では珍しく
「良い人がいればすぐにでも」と、結婚願望があった。

 

理由を尋ねると、
「年が離れた妹がいて、高齢出産だったお母さんが大変そうだったから」と言った。

なんとも「女性」に対して理解がありそうな人だなあ、と好印象だったことを覚えている。

 

私たちは逆算して考えた。

 

このまま東京で新婚生活をして妊娠した、として東京で産むのか?

産んだとして、今いる一人暮らし部屋で一時の育児生活をする?

赤ちゃんと共に引っ越し作業・・?

 

 

色々考えれば考えるほど、タイミングは明らかだった。
私は勤務先で転勤交渉、夫は転職活動を始めた。

 

 

私の場合は、転職したばかりだったこともあり転勤を選んだ。
会社の拠点が地元に在ったため、交渉は比較的にスムーズに進む。

 

当時の上司が良き理解者だったことはもちろんだが、やっと仕事の成果が出てきた頃だ。

「関東以外のエリア活動に尽力したい」という名目がうまく作用した。

 

 

一方、夫はハードワークの中、初めての転職活動でてんやわんやだった。

 

仕事中心の生活に終止符を打ちたい、とどこかで考えてはいたらしく、転職する決意は早かった。

 

 

東京本社ではあっても、地元拠点で勤務させてくれる会社に絞って探していた。

 

どんな仕事に就きたいか、就くべきか。

自分の働く上での優先順位は何なのか。

 

当初は慣れない転職活動で苦戦していたものの、面接が進み出せば流石だった。

気づけば複数社から選べる立場になっていた。

 

 

色々と悩んで、私生活(家族)を大事にできそうな会社を選んだそうだ。

 

 

と、まあ、

とんとん拍子に帰郷計画は進んだ。

されど、変動要素に富んだ転勤と転職である。

 

地元での勤務開始には少々のタイムラグが生じ、2ヶ月近い遠距離生活になった。

 

 

たかが数ヶ月、と笑われそうだが
新婚のさなかに再度、独りの部屋に戻されたのだ。
反動による寂しさが押し寄せた。
毎晩のテレビ電話が互いの寂しさを埋めた。

 

当時よく頭に浮かんでは消えていた
会えない時間が愛 育てるのさ、というフレーズは郷ひろみの曲らしい。

 

 

この距離と時間を経て
夫が、自分にとってかけがえのない存在になったのだと痛く感じられた。